北極圏ビジターセンター ―― 爆走アラスカ・ダルトン・ハイウェイ1000マイル 32

世界でもっとも過酷な道のひとつ、ダルトン・ハイウェイを走破する旅その32。北極海に面した石油掘削のためのキャンプ、プルドーベイからの復路。中間地点のコールドフットまで戻ってきた。

再びコールドフットまで ―― 爆走アラスカ・ダルトン・ハイウェイ1000マイル 31
世界でもっとも過酷な道のひとつ、ダルトン・ハイウェイを走破する旅その31。フェアバンクスから500マイルを走破して到達した、北極海に面した石油掘削のためのキャンプ、プルドーベイ。復路は来た道を南へ向かって走る。アティガン峠......

青トレーナーの女の子にお礼をいって、レストランを出発した。すぐに本線には復帰せず、ダルトン・ハイウェイをはさんで反対側にあるビジターセンターへいってみた。2100まで開いているとあった。

ビジターセンターの外観

ビジターセンターの正式名称は Arctic Interagency Visitor Center である。

Learn: Interpretive Centers: Arctic Interagency Visitor Center | Bureau of Land Management

ビジターセンターでは北極圏にかんする情報を展示していた。気候、地形、動植物など。展示自体は簡素だったが、まだ新しく、それなりに力を入れているのがわかった。

展示室の入口
北極圏の位置を示す展示
アラスカの地形とダルトン・ハイウェイのルートが記されている
森をながめることができる展望室。ムースの角(?)が飾られていた

建物はログハウスふうだった。ロビーにはバーモント・キャスティングの薪ストーヴがおかれて、じっさいに焚かれていた。誰かはわからないが、おじさんがひとりその前に坐りパソコンをいじっていた。売店もあった。やはりTシャツを一枚買う。

バーモント・キャスティングの薪ストーヴが焚かれていた。背後に、動物の毛皮が吊されていた

管理人は退職して再雇用か何かで働いているらしいおじいさんで、レンジャーの制服を着ていた。

アメリカ人がたいていそうするように、管理人のおじいさんもやはり「どこから来た?」と質問した。「ミシガンから」とぼくは答えた。

すると横から、さっきまで管理人と話していたリタイア世代の白人夫婦が「ミシガン?」と叫んだ。「わたしたちは、32年前にデクスターに住んでいたんだよ」

デクスターはアナーバーの隣にあるちいさな街だ。古き良き中西部の雰囲気を、いまもかすかに残している。ぼくも何度かいったことがある。そんな話を、ひとしきり交わす。老夫婦はしきりに「アナーバーはいいところだ」と褒めそやしてくれたので、お礼をいっておいた。

老夫婦は、いまはケンタッキーに住んでいるという。大きなキャンピングカーで全米各地をまわっているのだそうだ。夏のアラスカには、そういうひとが多く集まってくる。

その33へつづく。

ねぐらを探して ―― 爆走アラスカ・ダルトン・ハイウェイ1000マイル 33
世界でもっとも過酷な道のひとつ、ダルトン・ハイウェイを走破する旅その33。北極海に面した石油掘削のためのキャンプ、プルドーベイからの復路の話のつづき。中間地点のコールドフットで、給油・食事をすませ、ビジターセンターを見学した。......
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