礼文島の岬と山を歩く 6──スコトン岬

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さいごのスコトン岬へ

翌朝、晴れ間も見えていたが、黒雲もあり、時折パラパラと雨粒が落ちてきた。不安定な天候という感じだった。淡々と出発準備をすませる。軽ワゴンのおじさんはまだ寝ているようだった。今回は利尻でも礼文でも誰にも出発の挨拶ができなかったなとおもいながら、出発した。

フェリーの出港時刻は0840。その前に、逆方向のスコトン岬へ行く。

船泊湾は猛烈な時化だった。怒濤逆巻く、という言葉そのままの様相だった。北風のため、もろに風を受けるのだろう。雨まで降ってきた。そのなかで地元の人は合羽を着て自転車で走っていたりする。

スコトン岬へ到着。これで何度目だろう。ここでは雨はさほどでもなかったが、対照的に、船泊湾の向こうの金田ノ岬は雨雲で煙っていた。二つの岬で天気が違うのはめずらしくないようだ。急に雲が裂けて陽が差しこみ、金田ノ岬の背後の丘を照らした。

ゴロタ岬や礼文岳も見えた。雲が幾重にも重なるようすが印象的だった。毎回表情がちがうのだ。そして、ざわざわ、どうどう、ごうごう、というような潮騒と風の音。飽きない。

スコトン岬から復路は1800km

写真を撮っているとバスがやって来た。朝一番のバスであろう。乗客はなし。そんなバスを毎日運転するというのはどんな気持ちがするものだろうか?

バスが出てゆくのを見送ったあと、0730出発。この最北限のスコトン岬から、あとは一気に市川まで帰宅するのだ。距離にして1800km、ずっと下道を走って帰るつもりである。だから「一気に」とはいったものの、帰り着いたのは四日目の夕方であった。

時化の海を渡って

スコトン岬からまっすぐ香深をめざしディフェンダーを走らせる。船泊から峠を越えて東海岸に入ると、島陰になるせいか、海の荒れ方はずいぶん収まった。行きに船泊で自転車に乗っていた人が、帰りには峠の登りで自転車を押していた。スコトン岬から27km走り、フェリーターミナルへ到着した。

受付で引換券を渡す。海は時化ているが、運航するという。

今日の第一便の船はボレアース宗谷だった。車はやはりバックで、今朝は10台ほどが乗船した。

船は時間どおりに出航した。ぼくは船室にいたので気づかなかったが、名物の「お見送り」はなかったようだ。これも桃岩荘休業中のためなのだろう。

波の高さは3-2.5m、稚内まで揺れが予想されますと放送が入った。港を出るといきなり大きく動揺しはじめた。揺れはひどく、横になっていても体が滑りそうな時があるくらいだった。立ってトイレに行くこともままならない。

ぼんやりしていたら船酔いは避けられまい。気分がわるくなる前に対策をとっておく必要がある。船体に対して進行方向に頭を向けるように横になる。目をつむって視覚情報が入らないようにし、船の動揺に抗わず、身を任せる。

出港時は甲板で写真を撮ったりしていた乗客たちも、みな船室にもどってきて横になった。

1035に稚内着予定だったが、その時間になってもノシャップ岬はまだだいぶ遠くにあった。時化のため1120に延着しますと放送が入った。

ようやく稚内港が近づいてきた。出航してゆくフェリーと反航した。見ていると木の葉のように船体が前後に揺れている。それでも運航するのは、やはり島の足、生命線であるからだろう

フェリーは予定より45分遅れて稚内港に到着した。けっきょく時化は終日続いた。フェリーは、夕方の最終便こそ欠航になったものの、それまでは運航を続けた。

ひたすら下道を走る

稚内からは、オホーツク沿いを走った。宗谷岬はこの風でもにぎわっていた。宗谷岬をまわったら、山陰になるのか、風はいくぶん落ち着いた。ひたすらオホーツク沿いを南下し、紋別泊。写真は紋別市内で見た虹。

翌日は、紋別→中湧別→遠軽→旭川→石狩→余市→岩内と走って、いつものように島牧ユースホステルに泊まった。

島牧では狩場山がきれいに見えた。上の写真の手前の建物が島牧ユース。千走川をのぞいてみたが、鮭の遡上する姿は見つけられなかった。まだ早かったようだ。

こちらは、せなた町の立象山公園展望台からのぞむ狩場山系と茂津多岬。島牧から見る狩場を、ちょうど裏側からながめるような位置になる。

島牧からは、函館まで出てから大間へ渡り、野辺地でR4へ出、七戸泊。仮眠したのち日付が変わって0200には早くも走りだした。盛岡→前沢を広域農道や県道でバイパスした以外はひたすらR4を南下、夕方に市川へ帰着した。スコトン岬を出発してから四日目のことだった。

帰路のトラックデータは下のとおりである。なお礼文→稚内間は、データが飛んでいるため、ルート表示がおかしなことになっている。

おしまい

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