利尻山に登る 2

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登山口から夜の森を歩いて五合目まで

0240ヘッドランプをつけて出発。

前日、キャンプ場の管理人さんから、こう言われていた。休憩を含めて往復には11時間を見ておくように、そして遅くとも0430までには歩きはじめるように、と。その時間なら、島の宿から送迎されてくる登山客よりも先行できるのだそうだ。ぼくの現在の体力を考えて、さらに早めに出発することにした。

初めて夜の森を歩く。利尻には熊や鹿はいないというので安心して歩く。道程もよくわからないので、とにかくひたすら歩く。歩いていると暑くなり、着ていたフリースを脱ぐ。

五合目の手前で、樹林帯をほぼ抜け、鴛泊の夜景が見えた。つぎの六合目は第一見晴台だ。眼下に鴛泊の夜景、右手奥に礼文の夜景、右手に明るみはじめた空が見えた。出港してゆく漁船のエンジン音も聞こえる。行く手にひとつピークが見える。本峰ではなく、手前の長官山である。

すると、ハアハアと息を切らせた人がやってきた。軽装で、トレイルランをするひとのような格好である。六合目ではぼくが先行したが、すぐに追いつかれたので、先に行ってもらった。ぼくにはとても歩けない速さであった。

五合目から長官山まで

利尻は、活動を終えつつある火山の山。ごろごろとした石が多く、足許は不安定で、歩きにくい。狩場山のそれとよく似た感じである。ぬかるみはあまりないのが幸いだが、それでも汚れるので、フリースを脱いだときにスパッツを装着しておいた。

六合目でいったん樹林帯を抜けたとおもったが、まだ潅木が続く。黙々と登る。

右手に朝焼けが見えた。時折ざわざわと風が木々を揺らす。

やがて、さっきの六合目第一見晴台で初めて見えたピークがようやく近づいてきた。そこには昭和8年と日付の記された石碑がたっていた。長官山である。ここが八合目、第二見晴台だ。

ここまで来てようやく利尻山の本峰が、その姿をあらわした。間近で見ると、大きくて険しい山だと、あらためておもう。

時刻はこのとき0600。北麓野営場の登山口から3時間20分だった。ここまで4時間を越えていたばあいは、本峰をめざさず引き返すように、とパンフレットに注記してあった。

ちなみに、北麓野営場でもらったパンフレットには登山道の詳細が記されており、有用だった。もちろん登山地図も持参していたが、こちらはほとんどひらかなかった。

長官山から九合目まで

少し行くと、右手に沓形の街が見下ろせる場所があった。登りはじめた朝日によってつくられた利尻山が、三角形の影を山麓に落としていた。

するとそこに女性がひとり登ってきた。山の影が見えますよというと、ああ! といってカメラをとりだした。

ぼくは先行した。稜線の鞍部に避難小屋があった。緊急時以外は使用不可とされている。ガラス窓が二つあり、どちらもはめ殺しのようだった。中をちょっとのぞく。十二畳間くらいあるだろうか、二段ベッドになっているようだった。携帯トイレブースが二つ、外壁に沿って設置されていた。それらはロープで固縛されていた。

なお携帯トイレブースというのは、ふつうのトイレではなく、携帯トイレを使用するための囲いのようなもの。利尻山にはトイレはなく、いわゆる「きじうち」なども不可。登山者は携帯トイレの携行が義務づけられている。

避難小屋をすぎると、また登り。石のごろごろしているところを登ってゆく。

ところどころ丸太で階段状に補修してあった。円筒形を縦におき、それで階段のように積みあげた箇所もあった。それらは土壌流出を防ぐことが最大の目的なのだろうが、歩く側にとってもひじょうに助けになった。

しかし、右膝の上の内側の筋肉が痛くなり、最後のほうは、2-3歩あるいては休むというペースになった。こうなると、なかなか足が前に出てくれない。

九合目の手前で休んでいると、さっきの女性が追いついてきて、抜かされた。ぼくもなんとか力をふり絞ってもうひと登りし、ようやく九合目に到達した。

「ここからが正念場」

寒かった。霜柱がたっていた。九合目は鞍部にあって、風の通り道ということも関係しているのだろう。

フリースの上に合羽の上着を着用する。ゴアの防寒手袋も装着。この上はさらに風が吹いて寒いのではないかと考えたからである。女性は先行して行った。

九合目の札には「ここからが正念場」と記されていた。

この言葉になんの誇張もなかったことを、すぐに思い知らされる。

その3へつづく