世界でもっとも過酷な道のひとつ、ダルトン・ハイウェイを走破する旅その9。ダルトン・ハイウェイの入口、看板のあった場所からダートを1時間ちょっと爆走すると、ユーコン川へ達した。木の板で床の葺かれた橋をわたった。すぐ右に折れ、パイプラインの下をくぐると、小さなログハウスがあった。インフォメーションセンターだった。
インフォメーションセンターで情報収集
ログハウスのインフォメーションセンターは、6畳もないほどちっぽけな小屋だった。あとから考えてみれば、ダルトン・ハイウェイで唯一のインフォメーションセンターだった。
おばさんがひとりで店番をしていた。ぼくが「コールドフット Coldfoot までいきたいのだが、そこにガソリンスタンドはありますか?」と訊ねた。このとき最初まちがえてColdfishといってしまったが、とくに問題なく通じた。
おばさんは「ありますよ」といって、簡素な案内をわたしてくれた。コールドフットにあるというレストランやガソリンスタンドの営業内容と時間が書いてあった。おばさんいわく、24時間365日営業しているらしい。だから、到着時間を気にすることなく、いつでもサービスを受けることができるのだという。コールドフットはダルトン・ハイウェイのほぼ中間地点であり、往来するトラックの中継地点でもあるので、かなり需要があるのだろうとおもわれた。
おばさんはさらに、ダルトン・ハイウェイのパンフレットもくれた。簡素だが要点を押さえた地図とともに、ガソリン、売店、レストランなどの所在地点をまとめた表が載っていた。やはり現地でなければわからない情報があるものだ。それにしても、こんなパンフレットを用意しているところをみると、観光需要にもそれなりに応えようとしているのだろう。
スイスの人見知り青年
インフォメーションセンターの隣には、パイプラインにかんする説明パネルがいくつかならべられていた。それによれば、さっきわたってきたユーコン川にかかる橋は「E・L・パットン橋」というらしい。パイプライン会社の社長だったひとの名前が付けられているのだそうだ。
ここでたまたま一緒になったスイス人の青年と話す。かれもレンタカーでドルトンハイウェイを走りに来たという。スイスにはきれいな風景がたくさんあるよねという話をぼくがすると、でも世界にはもっといいところがたくさんあるという。ぼくの乏しい経験では、スイス人というのはだいたいこのような反応を示す。かれはちょっと肥った人見知り青年という感じで、ひとと話すのは得意ではなさそうだった。英語も流暢というほどではないものの、ぼくよりはずっとうまい。
スイス人見知り青年のレンタカーは、長い車体のバンである。車名はわからない。四駆かどうかもわからない。そして、なぜまたひとり旅でそんな大きな車を借りたのか(借りることになったのか)も、わからない話である。空荷のバンではタイヤにトラクションがかからず、走りにくいのではないかとおもうのだが。
ここにはまた、パイプラインのパトロールをしているらしき、警備員なのか警官なのかわからないが、そういう恰好をしたおじさんが立ち寄って、なにか食べていた。州政府ナンバーの車が止まっていた。背面は泥でコーティングしたようになっていた。
ユーコン・リバー・キャンプ
おばさんに教えられたとおり、ハイウェイ(という名前のダートだが)を横断して反対側へゆく。そこにユーコン・リバー・キャンプ Yukon River Camp があった。がらんとした広場の端に食堂があり、ガソリンスタンドも併設されている。
インフォメーションセンターのおばさんの話によれば、コールドフットはここから140マイル弱、4時間ほどの距離である。ぼくのユーコンXLのガソリンはまだたっぷり残っているので、コールドフットまで給油なしでも余裕で持つ。だが、ようすを知るためにも、試しにここで給油しておこうとおもう。
ガソリン給油のやり方
しかしながら、日本やアメリカ本土でイメージするようなガソリンスタンド的な設備は見あたらない。よくよく探すと、奥のほうに、燃料タンクが地上に剥き出しで設置してあり、その脇に、ぽつんと一台、給油機がおいてあった。
貼り紙がしてある。まず店内にクレジットカードをあずけ、機械を起動してもらってから、あらためて給油に来いという意味のことが書かれていた。
そこで、店へいってみた。大昔の南極観測隊の住居のような四角い簡易プレハブで、バイクのおじさん2人組が休憩しているだけだった。フェアバンクス発の北極圏記念碑まで往復する日帰りツアーだと、行きと帰りにここに寄り、お昼と晩を半ば強制的に買うことになるらしい。
対応してくれたおねえさん(おばさん)の感じはとくに悪くなかった。カードをあずけ、再び給油機のところに戻ってノズルをあげる。ところが、給油しようとしても作動しない。店に戻っておばさんに「機械が動かないけど」というと、おばさんは「起動はちゃんとしたわ」といい、わざわざ見に来てくれた。そして、ノズルを給油機からあげるだけでなく、その下にあるレバーを倒さなければならないのだと教えてくれた。そんな給油機を見たのは初めてだった。
このとき、さっきのスイス人見知り青年がやはり給油のためにやってきており、その話を横で聞いていた。かれがいうには、昔の給油機はどこもそんな仕組みだったという。欧米は昔からセルフ給油が普及しており、一般人も給油の経験が豊富にあったのかもしれないが、日本では昔は店員しか給油できなかったので、知る機会がなかったということだろう。
給油した量はわずか。ガソリン価格は、場所柄、当然高い。あらためて店にもどってクレジットカード決済の紙にサインをすれば完了である。
その10へつづく。