枯れ川と椰子の実 —— 石垣島平久保半島東海岸を歩く 8

石垣島の最北端・平久保崎をめざして東海岸づたいに歩く旅その8。前回は、有刺鉄線の柵が海までつづく安良崎に達した話だった。

有刺鉄線の安良崎 —— 石垣島平久保半島東海岸を歩く 7
石垣島の最北端である平久保崎をめざして東海岸づたいに歩く旅その7。放牧牛の集団と別れたあと、安良崎へ達した。そこにはかつて500人ものひとが住んだ村があったというが、いまは誰もいない。安良崎には有刺鉄線で柵がつくられていた。
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またまた砂浜を歩く

安良崎の岩場をすぎると、また砂浜となった。こんどの砂浜もだいぶ距離がありそうだ。

浜辺にモンパノキが生えていた。

枯れ川を越えて

その先に、枯れた川があった。オフシーズンゆえに枯れているだけで、ふだんは水量があるのだろうとおもわれる。

動物の足跡があった。糞らしきものも点々と落ちている。牛だろうか?

ほどなく、二つめの枯れ川に出会った。

水量があるときには、もしかすると渡渉するには注意が必要になるかもしれないな、と想像してみる。

椰子の実

椰子の実が流れ着いていた。

『椰子の実』という古い歌がある。童謡なのか唱歌なのかは、ぼくにはわからない。曲がつけられたのは1936年だが、もともとは島崎藤村が書いた詩である(1901年)。さらにそのもとは、柳田國男が藤村に、大学生のころ伊良湖で椰子の実が漂着しているのを見た話を語ったことにあるのだという。

名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 椰子の実一つ

故郷(ふるさと)の岸を 離れて
汝(なれ)はそも 波に幾月(いくつき)

旧(もと)の木は 生(お)いや茂れる
枝はなお 影をやなせる

われもまた 渚(なぎさ)を枕
孤身(ひとりみ)の 浮寝(うきね)の旅ぞ

実をとりて 胸にあつれば
新(あらた)なり 流離(りゅうり)の憂(うれい)

海の日の 沈むを見れば
激(たぎ)り落つ 異郷(いきょう)の涙

思いやる 八重(やえ)の汐々(しおじお)
いずれの日にか 国に帰らん

じっさいにじぶんの目で見たわけでもない椰子の実ひとつで、ここまで詩的想像力をひろげられる藤村も藤村だが(ちなみに藤村はぼくの勤務先である明学の出身)、ぼくとしては、むしろ、伊良湖の砂浜に漂着していた椰子の実を見逃さなかった柳田國男の観察眼にすっかり感心してしまう。ものを見る目は、養い、鍛えなければならない。

最後のトムル岳

ふりかえると、トムル岳の姿がだいぶちいさくなっていた。

明石を出発して以来ずっとぼくの徒歩旅を背中から見守ってくれていたトムル岳だが、その姿が見えたのは、ここまでだった。

その9へつづく。

月桃のお弁当 —— 石垣島平久保半島東海岸を歩く 9
石垣島の最北端である平久保崎をめざして東海岸を歩く旅その9。満潮から2時間がすぎ、海面がだいぶ後退してきた。津波石をながめ、とうとう浦崎に到達した。ここで昼食をとった。宿のおばさんが用意してくれたお弁当は、月桃の葉にくるまれていた。